△「かすしん」と言うニックネームで愛されれば幸いです。
バイオグラフィライター「春日しん」
春日しんと言うペンネームの由来は私の生い立ちに起因します。
>>> 私小説「春日様」
子供の頃から人間は身体と心、そして魂から成り立っていて、この人生の幸せは身体も心も魂もすべてが喜ぶ生き方が一番だと思って探し続けている。
人間の中を探求するために私は若いころから座禅に親しみました。そしてある時、一つの極みを体験しました。
>>> 私小説「法水の竹」
どんなにお金があってもどんなに才能に恵まれていてもそれだけでは幸せになれない、誰にでもそれぞれの生き通しの魂の求める生き方がある。どんなに忙しい、またどんなに苦しい中にもそれをすると我を忘れ、時間を忘れさせるワクワクするものを、それぞれが持っている。それを見つけ、素直にそれに従い生き抜いていくことが、誰が何と言おうと、それがその人の生き通しの自分史(Biography)のテーマです。
そしてそのやり抜いた先に更なる新たな進化があります。
「三浦一広物語を書き終えて」
私は60歳になる、2年前に30年間手掛けてきた事業を清算した。そしてその2年前に私の心の中ではこんな出来事があった。
工場を2日間、駆けずり回った台湾での仕事を終え、JALの最終便で香港へ着いた。そのままタクシーでいつものホテルに直行すると、いつも定宿として泊まっていたホテルが、その日は、私のために特別に最高級の部屋を用意してくれていた。
中に入るとハリウッドの映画に出てくるような豪華なリビングルームがあり、それを通り抜けた先に、20畳ほどの広い寝室にキングサイズのベッドが二つ、クロゼットにはバスローブが架かり、広いシャワールームがすぐ脇についていた。リビングの反対側には、御付の人が泊まれる、もう一つのツインルームのドアが開け放たれていた。
夜の10時を回り、翌日の段取りを考えながら、だだっ広いロイヤルスイートのリビングで、たった一人でスコッチのウイスキーをグラスに注いだ。最上階からの香港の夜景を見ようとグラスを片手に窓際に立ち、グラスを口に当てると強いアルコールの香りが口の中に広がった。そして同時に、急に、ある不思議な感情が、胸の中一杯に広がった。
その頃、事業を始めて20数年、何度かのピンチも切り抜け、一年に10回以上の海外出張と同じ回数の大阪出張を繰り返し、若いころ夢見た、「飛行機に乗って世界中を駆け巡り、英語を話してビジネスをする」を実現して有頂天になっていた。
しかし一方で毎晩、客先との接待と社内の打ち合わせに明け暮れ、たまの休みに子どもたちと夕食を共にすることを除けば、家で食事をすることはほとんどなく、社内でも「何でこんなことがわからないんだ、もっと工夫をすれば良い結果がでるのに」と社員を怒ってばかりいた。勿論、そんなだから家庭の中でも妻には当たってばかりだった。
「俺はこうして一生を終るのだろうか。こんなことをするために生まれてきたんだろうか」
「こんなことを死ぬまで続けて本当に幸せなんだろうか」
「えい、いっそビジネスの世界から足を洗おう、それ以外に、今の怒りん坊の癖は変えられない・・・」
それが心の大きな転機となり、それからしばらくして事業を清算した。そしてそれからは今までとは全く反対のことをした。お金儲けの臭いのするところから離れ、世のために力に成る勉強をし、人のつながりを大事にしようと思った。
先ず、浅井隆塾長率いる「志塾」の門を叩いた。北村三郎塾頭の理路整然とした各論に強い講演を聞き、魅かれたせいだと思う。浅井塾長の「パワフルなエンジン」、北村塾頭の「バランスの良いハンドル」一番良い時期に、3期生として総勢6名で政治と教育を学び、「五感塾」というプログラムを通してたくさんの地方にいる、無名ながら有力な方達にお会いした。
ある日は、北村塾頭のつながりで松下政経塾に泊まり込み、松下幸之助の思いを金子事務局長から聞き、翌日一日がかりで政経塾の塾生と討論を戦わせた。幸いにその折、同部屋にさせて頂いたのがイオン労働組合の新妻健治委員長、激論を戦わせた松下政経塾の塾生が昨年、徳島で参議院議員に当選した中西祐介さんと大阪で市民活動を続ける杉本哲也さんだった。
一方で日本プロカウンセリング協会の門を叩き、カウンセリングの勉強をした。そこで80万人の「うつ」の患者と200万人の「ひきこもり」やその予備軍の存在を知った。何とか自分の手で少しでも力に成りたいと身近な人々の話を聞き、相談に乗っていった。そして、人それぞれに自分の歴史があり、人生の中で度々出くわす特異な出来事や、その時にその人が取る行動に癖や傾向があることがわかった。益々人の話を聞くことが好きになっていった。
2008年松下政経塾出身の安田壮平さんの呼びかけで、新日鉄化学の樋口裕さんが核になり、3泊4日の「奄美五感塾」が開催された。全国から勉強会仲間が集まり、テイジンの五感塾リーダー、鈴木崇之さんも参加していた。
そしてこの「奄美五感塾」のプログラムの中で、私は運命の三浦一広氏に会うことになる。本当に人生は不思議だと思う。又だから面白いのだとも思う。彼は元気に溌剌として子どもたちとの活動のことを話し、24時間365日、何もかも家庭をも犠牲にして、子どもたちのために捧げ尽くす人間、三浦一広に感銘を受けた。
それから2年後に東京でお会いした三浦一広氏は見る影もなく、やつれ、本人が「うつ」と言うように「死にたい」と言う言葉を漏らすほどだった。これこそが私に与えられた何かの啓示なのかと、じっと注意深くカウンセラーの目で彼を見つめ、話を聞いた。幸いに彼は30分もすると涙を浮かべ「もう大丈夫です」と元気を取り戻した。
それからの1年間は、今思えば何もかにもが、まるで何かに導かれるかのように一つの方向に引っ張られていきます。
東京でお会いした時の話を30頁の物語風の文章にまとめ、三浦さんに手紙を送った。「もしこの文章が気に入って頂けるなら、私がすべての費用を持つので、三浦さんの本を私に書かせてください。私が三浦さんとその奄美での活動を応援したいんです」
何度かの奄美取材出張を重ね物語を書き進めるうちに、これはただ私が費用を負担して小さな出版会社から本を出せばよいと言う事ではなく、活動を知れば知るほど、何としても大手の出版社から出版し、全国の人々に知ってもらわなければいけないと思うようになった。
ここでも私は、今までのやり方を変え、ただ大手出版社に売り込むことは止めて、私のために力に成ってくれる友人の意見を聞こうと思った。私のゴルフ仲間に、57歳で一早く現役をリタイヤしてオーストラリアのゴルフ場に住み、日本との半々の生活をしている、元マガジンハウスの編集長、加藤英世氏がいることを思い出した。8割がた書き上がった原稿を送り、何としても大手出版社から出したいので力に成ってほしいと頼んだ。
「文章もレベルまで来ているし、内容も悪くない。俺はもう、マガジンハウスの現役でないから、むしろ講談社の園田に頼めよ」同じくゴルフ仲間の園田徳一郎氏を思い出させてくれた。それから初めての原稿を読んでもらう日、東日本の大震災でそのアポイントは流れ、その後も製紙工場が被災し、講談社として本の発行部数を減らす等、数々のハードルにあったが、6月10日(金)の夜8時12分、園田氏から「企画会議を通りました」の報が舞い込んだ。
「嬉しかった」自然に何かに感謝したくなり頭が下がった。そしてすぐ三浦氏に連絡をすると「本当ですか……」と言って後の声が出なかった。
天外伺朗さんの主催する天外塾の講演のご縁で知り合い、以前から仲よくゴルフでお付き合いしている横浜ベイスターズの白井一幸監督に「以前から頼んでいた奄美の出版記念会での講演のこと、本の出版が決まりましたからお願いします」と頼むと、「ちょうどその頃チームは奄美でキャンプだからいいよ」「球団としても応援すると思うから本が出たら球団社長にも紹介するよ」人の輪が、金銭の対価が何もないのに、水の輪のようにどんどん広がっていく。
三浦さんの尊敬する、ヒトの教育の会会長の井口潔先生が推薦文を書いてくださり、奄美のイラストレイター、岬眞晃さんが表紙を書き起こしてくれた。そして松下政経塾で同宿した、あの新妻健治さんも応援してくれると言う。人の縁のありがたさに頭が下がる。わたしはただ周りに支えて頂くだけでなく、私も周りの皆さんを支えていきたいと思っている。
人生は一人一人、それぞれに生まれてきた意味が違う。他人と比べることは無意味だと思う。私が三浦一広の真似をしても、私は三浦一広にはなれない。しかし皆の助けを得て、こうして彼の活動を世に広めるお手伝いはできた。
来年、私がニュージーランドに設立するKASUGAチャリテイ基金を通して、また天命を知って生き抜く人たちの心の奥、魂の自分史物語を書くことによって、これからも私を必要としている人たちのお役にたちたいと考えている。
来年には新妻健治さんや、さらなる仲間たちと、あのUSAの9.11の日、ワールドトレードセンタービル78階から盲導犬と一緒に、非常階段を伝って脱出した全盲のマイケル・ヒングソン氏の全国講演活動を応援していきたいと思っている。
私の友人に、子どもの時からの不自由な身体を克服して、25歳で出版会社、燦葉出版社を立ち上げ、本は自分で売って歩かないとわからないと現在も不自由な身体で、自転車でリヤカーを引っ張りながら全国を行脚する、そんな白井隆之さんがいる。彼は今年、そのヒングソンさんの全米で話題をさらった、感動の物語「サンダードッグ」の翻訳版を発刊した。そのご縁で来年、彼が北海道から九州まで全盲の講師、ヒングソン氏と盲導犬を連れて講演活動を行うと言う。
そして感動すべきことに、白井さんは自分の会社の商品でもないのに、私のこの「結いの島のフリムン」を全国の学校や教会、友人たちに、素晴らしい本だからと言う理由だけで自分の会社の本と一緒に紹介してくれています。
「人はパンのみにて生きるものにあらず」
今回、私の初めての著書「結いの島のフリムン」に関わり、お力をお貸し頂いた方々に心からお礼を申し上げます。そして末筆ながら皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げております。
バイオグラフィ・ライター
春日 しん








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